ななな純文学論

さて、2014年にビル風の合間を一人アルバムをひっさげてさえずってみたものの、ごく普通にというか、さりげなく一般的な態度を示すというか、緊張していました。既に傷ついていらっしゃる方もたくさんおられるかと思います。大変多大なるご迷惑をおかけしてまことに申しわけありませんでした。

 

他のことできめ細かく考えている場合なかなか盲点に気が付くまでが遅く時間がかかる場合のほうが多いかもしれませんが、現状で個人的に分かる範囲でどういったことだったのか列挙してみました。

 

  • 他者が存在しない視点、あるいはファインダー越しの感覚でしか自分の言動を見ることができなかった。
  • 社会の様子を岩場の陰から覗き込むように伺っていた。しかし最終的には高慢な態度だったということが後々になってじんわりと伝わってきてしまった。
  • ただなんとなく冷たい涙に浮かべてしまったチョコの短編をできれば長編にして読んでみたかった。
  • 職人芸の技法においては試行錯誤の連続であったが、その時はまさか徒砕嗅碗などできるわけはないと思い一旦足踏みしたものの、やはり気になり改めて徒砕嗅碗の案を練り始めてみたところ、まぎれもなくこれこそが夏椿懐煎碗であった。その後私は程なくして群実冠緑玉碗を生み出すに至ったわけではあったが、それにしてもあの夏椿懐煎碗を実際まろやかにやさしく包んであげたかった。
  • 視界の範囲が非常に狭く公衆の面前で赤いトートになってしまった。
  • 実生活でのむしろ気を使い過ぎな面がなぜか真逆になって表れてしまっていた。
  • うつらうつら夢うつつだった、もしくは人や現実から遠ざかっていった。反射だった。カラッと晴れた眼差しで真価を見極めたかった。
  • いつの間にか平穏な言動(文体)であることに対して、自ら独特な視点で分析し、もっと穏やかにね、とうっすら感じてはいながらも、その場でひらめいた起伏の激しいアイデアをともかく優先させられずにはいられなくなってしまっていた。
  • 大学に入ってから日記をつけ始めていた。最初はさっぱりとしていたが、忘れた頃に読み返したとき詳細が分かるような記述になっていってしまった。それはつまり無意識のうちにトリコになって何かに没頭するというその背景や経緯が何だったのかを捉えたかったのかもしれなかった。ハッて気がついたらものすごい聴きまくっていて、一体どういう理由でこうなったのか知りたかったみたいなことであった。
  • 日記じゃないんだぞ感を数日後に認識してしまっていた。
  • 群馬に帰ってからはしばらく母におむすびを作ってもらい1日図書館の奥の日当たりの良い机で密かに音大を目論みドイツ語を勉強していた時期もあった。しかしせいぜい形容詞の格変化ぐらいまでであった。
  • また図書館は言葉遊びをやるのに絶好の場所であった。ファストフード店ではBGMが入るしキャピキャピした雰囲気がそのまま反映されたりしてしまうこともあった。しかし、言葉遊びの中ではとても自由だった。
  • さらに図書館では、言葉遊びの合間に貸し出しできない大きな絵画集などをよく眺めていたのであった。
  • 言葉遊びにそのままメロディをつけちゃおうと考えた時期もあったが、部分的に先に作詞に取り入れちゃったものもあった。あ 甘い匂い、い いい匂い、す 好きっていう告白を く 薬指にはめてあげたい、り 理論が解けるように、い イニシャルもほどけてゆく、む 無邪気なまま、であった。さらに、す 好きで好きで、 と トロけそう、ろ 論じなくても、べ ベイビー、り リップにキッスで い いいんじゃない、であった。
  • 単なる現実逃避だった、あるいはフィクションみたいな脳がそのままドキュメンタリー化してしまっていた。あるいはファンタジーの世界に住んでいたかった。
  • いわゆるこの創作の日々、特にはなうたを起源にしある意味枯らしてしまったデジャブにまだ水をあげるかというその空しさをバネに、しかしそれをあくまで呼び戻したいとする己の嗅覚、あるいは堪えきれぬ念をまといそぎ落としてしまったものを埋めようとする強い何かを結局はそぎ落としたままにしてしまったという悔しさを、パワフルなユーモアで包んだ歌の中に求めた結果、たわわな歌の実のようなものになってしまっていた、あるいはその実を削るほどに磨いてしまった。
  • 孤立ではなく孤独だった。しかし厳密に言うとある意味孤立なのかもしれなかった。作品の中に埋没してしまう傾向もあった。
  • ともかく思わず出だしマイナスな態度から始めてしまっていた。あるいは、なぜか分からないけれどもどうもしいたげられている感からくるしいたげられまいぞとする態度があふれてしまっていた。
  • ささいな言葉や物音に聞き耳を立てて過敏になり、その場しのぎで穏やかな表情のまま心の中で旅に出るという技を身につけてしまっていた。
  • 街中でフレームの中に映し出される自分はどのようなタイミングであってもブレずに写ってなければならなかった。あるいはかなり近い距離の場合はハーモニーがとても重要だった。
  • 漠然と書き記したものやメロディに当てはめようとしながらも作詞として当てはまらなかったものなどいくつかは、そのままあるいはまた違った短めの自由詩のような形にして残した。ここに大学生の頃から「はなうた」として録音してきたメロディの断片をはめることで完成した曲もあった。
  • 目に見えない微細な浮遊するものを寒天培地で培養してから清潔さに磨きがかかるようになってしまった。
  • 自信対策に関してはこの愛を一旦おむすびにして伸ばしていた左手の小指の爪をもっと伸ばそうかしらと思っていたら、元気が出るはなうたが浮かんできて思わず飛び上がってしまったのであったけれども、このことをきっかけとして今度はこのアルバムの輝きと自分自身を照らし合わせてみようかなとゆう気にさせてくれたこのはなうたに関しては感謝の気持ちでいっぱいであった。
  • 何しろ全てははなうたから生まれてくるわけであって、はなうたの存在自体を敬愛しているようなところがあった。はなうたがすごい速さで歌となる瞬間はまさにデジャブであり、自分はまるでデジャブなんじゃないかという嗅覚はあったが、無意識のうちにデジャブという概念を封印していたのかもしれないことを考え合わせるとデジャブであったと認めざるをえなかった。
  • 一番基本的な日常生活の中に含まれた事細かなあれこれを乗り越えてくれていた家族に対する感謝の気持ちはやはり欠けてしまっていた。
  • メロディに当てはめるわけでなくとも、思いつく言葉を次々に並べ替えたりして気に入ったフレーズを作るのが得意だった。しかしそういった気分に入り込むまで時間がかかるというのと、入り込んだ後はちょっと没頭ぎみになってしまう傾向もあった。
  • 地図上で街歩きのようにして世界中を旅した。
  • 置かれた状況や目の当たりにした景色、深く読んだ記事にわりとすぐに感化されてしまう傾向もあった。
  • 自転車の急ブレーキの音が遠くで聞こえた気がして慌てて側溝を飛び越えたら、まるで気を失うかのような光か何かの後でなぜか僕は深緑の中で歩いていたのだった。
  • 高校1年生の頃、バドミントンの新人戦にてもう少し頑張れば勝てるという試合なのに、みるみる試合数が減っていってこれ以上目立つのが恥ずかしくて負けた試合のことを思い出してしまった。
  • まず手始めに、一番最初にDysonでお部屋全体をくまなく清掃した後、背筋をキリッと伸ばし、もっと完璧に聴くべき「The Beatles」という存在があったのだった。
  • ワクワクして無邪気に遊んでるっぽくなってしまっていた。

 

もしかしたらもっとまとめて簡単に言い表すことができるかもしれないのですが以上の通りです。ご迷惑をおかけしました。