ギターについて

ギターを始めるきっかけはブルーハーツです。ある日、音楽室に入ると友達がラジカセでリンダリンダを大音量で流していて、僕はそのまま急に近づいて行ってダビングしてもらったのを覚えています。家にはもともとモーリスのガットギターがありました。パパさんが買ったものでした。このギターを使って、曲に合わせてコードなどを覚えました。ナルシソイエペスの有名なのを練習したのもこの頃だと思います。僕の作品の中で聴こえるガットギターはこれです。高校生になるとバンド活動をするようになりますが、バドミントン部と生徒会を掛け持ちしていたためほぼすき間を見ての遊びでした。しかし、生徒会の活動ぶって楽器を運んでいるところをバド部のコーチに見つかってしまい、一時期険悪なムードとなりました。この頃、車じゃないと運べないような友達の巨大なアンプを家の2階の廊下に置き、友達のエレキギターとマルチエフェクターを使って「青空」のギターソロなどをCDをかけながら大音量で練習したりしました。ガットギターではさらにwhite wind from Mr.Martinとvoiceless screamingをカヴァーしました。

大学では、リバーシブルなバンドというのを想像し、あえて室内楽のコンサートも行っているというオーケストラのサークルへ入団。しかしチャイコフスキー以外は何も聴かず、おいちゃん(パパさんの弟)からモーリスのフルアコ(Gibson ES-175D風、ほぼ同じモデルをポールギルバートが雑誌の中で紹介していた)を借りて曲作りを始めます。やがてレスポールを購入します。友達の影響で良く練習したバンドスコアと言えばエクストリームです。弾けなかったものは当然弾けませんでしたがけっこう影響は受けた気がします。ブーゲンビリアとして行ったライブは4回。原宿ロサンゼルス2回、クラブチッタ川崎、渋谷24。ロック研究会の関連で西荻窪にあるライブハウスにてGipsy kingsのinspirationを披露したことがありましたが、今思うと無茶でした。その日は他にsmoke on the waterをベースで参加しました。ギターはその後、町田の楽器店でショートスケールのリッケンバッカーを購入(街の灯のギターソロ)。さらに獣医学部の知人からovationのcelebrityというエレアコを1万円で譲っていただきます。作品の中ではボディをはじいてもいます。町田駅の通路ではトミテツと呼んだ友人と手のひらサイズのアンプを鳴らして奥田民生などを歌ったことも何度かありました。大和駅でも行いましたがすぐに補導されました。

群馬に帰ってからは主にガットギターにのめり込みます。マヌエルバルエコを聴きながら、譜面をタブ譜化し、モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲をほぼかなり自分なりに弾きこなします。その後アグアドのロンドにのめり込み、音符が波打つあたりまで練習しました。ちなみに「恋のロンド」というタイトルはテレビドラマ「輪舞曲」から。その頃まで書き記していた手帳はその後、「ステレオ鳴らない」と記して以後何も記さなくなりました。このステレオはSONY のLIBERTYといういわゆるコンポで、数年後にアンプ内部のLSIを交換して復活します。ガットギターはというと掃除機をぶつけてネックがボッキリ折れてしまいました。

今あるギターはレスポールとチェットアトキンス(後期型)です。最近は凄まじいエレキギターでベートーベンを弾くyoutubeを見て無窮動と呼ばれる教則本を始めたところでした。