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好きな音楽について

音楽を聴き始めたのは小学校4年生の頃でした。たまたま家にあったカラオケ用のステレオに、またまたたまたま家にあったいくつかのカセットテープを入れ、幼いので妹と一緒にふざけながら聴いていたのが最初です。リチャードクレイダーマン、井上陽水の「センチメンタル」、「氷の世界」、荒井由実「ひこうき雲」、かぐや姫の「さあど」、グレープの「コミニケーション」、その裏面にジャニスイアンの「Miracle Row」、ウニャ・ラモス、ベートーベンのチェロソナタ集などでした。このカセットテープは母というより母の妹(ケーナを吹いていた)のもので、この後レコードプレーヤーも譲り受けてムード歌謡などのむしろ古びていないレコードを聴くようになります。なかでもその当時で完璧にはまったのがミッシェル・ポレナレフの「HOLIDAYS(愛の休日)」でした。「Music  Rainbow ロマンツアー世界のポピュラーミュージック」というものやベンチャーズ「急がば回れ」などのいくつかもこの頃よくかなり聴いていたと思います。ほぼその頃学校では縦笛でドラゴンボールを完璧に吹いていました。ちょうど時代がレコードからCDへと切り替わる頃になって初めてTHE ALFEE「白夜-byakuya-」のレコードを買いました。こういったレコード類はのちにデジタル化しました。

中学に入ると巨大なアンプを貸してくることになる友達から、氷室京介(1st)や渡辺美里(ribbon)、レベッカ、buck-tickなど卓球部に所属しバック転もマスターながら色々聴かせてもらうようになり、ブルーハーツを聴くようになります。なぜか浜田省吾ONLYの友達がいてみんなでキーホルダーを買ったりもしたのですが、氷室京介と浜田省吾を交互に聴いて独自に分析していたのを覚えています。そして中学生ぐらいですので必ず最後には氷室京介を聴きながら眠りにつかなければならないことになっていた日々もあったことを今思い出しました。ちなみに言うと小中学校の机やら壁や柱にはBOOWYのサインだらけの中にまぎれて至る所にてっくんサインが記してあります(消されてなければですが)。

高校生になるとお祝いでLIBERTYというコンポを買ってもらいます。初めて買ったCDは「宮崎駿のアニメBOX」という魔女の宅急便までの4作品のベスト盤にちょっとしたグッズ入りみたいなものでした。高校生の頃には既に遊佐未森も聴いていて、特にラジオは録音をして聴いていました。同様にブルーハーツのしおりというラジオも録音して聴いていました。ラジオの中でかけてくれた曲などを繰り返し聴いたりしたので今でも結構印象に残っています。クラッシュ、シャム69、ELP、ケイトブッシュなどを知ります。ビートルズを聴き始めたのもこの頃です。音楽の教科書には「Here There And Everywhere」が載っていて弾き語りの練習をします。高校2年生になるとクラリネット奏者の音楽の先生が赴任してきて室内コンサートを聴きに行ったことがありました。この先生に言われ何かの行事で校歌の出だしだけ独唱したこともありました。文化祭ではTRAIN-TRAINのピアノを結局は弾いてくれなかったのでしたが、この先生のスタンスというか、音楽に対するイメージが良い状態のままKEEPされたと思います。

大学に入り、ブルーハーツは聴くというよりも部屋に頭の中にポスターが貼ってあるという存在でしたが、解散してしまい拠り所がなくなったというか慌てて色々拠り所を求めて?聴く音楽を探し始めます。偶然というか向かいの部屋に住む拓殖学科のビートルズ好きの友人からクイーンを教わり全体にクイーンぽくなります。さらに喫茶室友達のD君からは本当に多くのCDを聴かせてもらいました。この頃は他にも特筆すべきは、ベンフォールズファイブ(親友に教わる)、オアシス、ブルータル・ユース、ハリーコニック, Jr.、エクストリームなど。そんなこんなで多分夜中の番組でスピッツの「青い車」を聴いてから一気に過去のシングルCDを買い集めます。スピッツの1stアルバムとかを持ち歩いていました。その後はクイーンとスピッツを中心にして、ジプシーキングス、カーネーション、フィッシュマンズ、小田和正、サニーデイサービス、エレカシ、奥田民生、こういった日々の中でオーケストラではいわゆるベト7を練習しているらしく、ビオラ譜にはボーイングなども記していたりするのですが、のだめカンタービレで知っても演奏していたことには全く気がつきませんでした。

群馬に帰ってきてからは、なぜか急にクラシックに傾倒するようになります。ミニチュアスコアのビオラを中心に特に弦楽器の動きの気になったところ、例えばブラームスの交響曲第3番1楽章のカラヤンで言うところの3分過ぎのあたりをTAB譜化してみたりして聴いていました。その頃の三上博史のドラマの影響でマーラーの交響曲第5番4楽章にはまったもののしばらくは他の楽章には見向きもしなかったのですが、なぜ聴かないんだろう?と不思議に思ってあえて1楽章から聴き始めてみたところ嵐のような感じと本人の脳の回路を聴いてるみたいな感じに思えて良く聴くようになりました。4番の1楽章の出だしとかもTAB譜が残っています(個人的なTAB譜化の起源については厳密に言うと下宿でのYAMAHA MT−50による違う拍子がどこかで遭遇する音楽のTAB譜化です)。そうしてブルックナーも聴くようになりショスタコーヴィチ、シベリウス、バルトークなどを聴きます。ジャズに関してはそんなに詳しくはありませんが、ヨーロッパのジャズのオムニバス版みたいなのを聴いてからリタライスを良く聴くようになります。ニーナ・シモン、サラ・ヴォーンを聴くようになります。そして、一時期全体になんとなく音楽を聴かなくなった後、静かなピアノ曲を中心にいろいろ聴くようになります。シンフォニーはあまり聴かず、弦楽四重奏、コンチェルトなどを聴くようになりました。

最近では「Barbra joan Streisand」というアルバムを聴き、そこから「Dionne Warwick sings Burt Bacharach」を聴くようになりました。ビリーホリデイや、ナットキングコール、エラ・フィッツジェラルド&ルイ・アームストングを聴き始めます。さらにフリートウッドマックとエレクトックライトオーケストラを聴き始めました。あえて聴こうと思って聴いてきた音楽はもちろんですが、ファストフード店や街中の通り沿いで耳に入ってきた音楽とかにも当然影響を受けているのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピアノについて

ピアノは高校生になってから始めました。魔女の宅急便の譜面が最初だったと思います。音楽の先生にペダルの踏み方なども少し教えてもらい、ベートーベンの「Ich liebe dich」という歌を弾きながら歌ったりして練習していたのを覚えています。あとなぜか「この道は〜」のイントロ部分の練習をしました。ショパンの「別れの曲」もある程度弾けるようになり、大学のサークルで友達に聴かせたら、なんか違うねって言われ結局どうも「やさしいショパンの別れの曲」だったみたいです。大学生の頃はあと「あこがれ/愛」を練習しました。その後しばらくピアノからは遠ざかってはいましたが、ポリーニのピアノソナタ(ベートーベンの32番の2楽章)を聴いてから一気にピアノっぽい気分になり、ブラームスなどのピアノ曲も聴き、作品の中でピアノは徐々に欠かせないものとなってきました。

読書について

「個人的な体験」をもとにいうと、長い間活字を追うのがもともとあまり得意ではないと思ってきました。実際に読み進めていくペースは多分非常にじっくり遅いタイプだと思います。読み終えた後にもう一度読むということがどうも良いらしいのですが、僕は1文ずつイメージできるまで反芻しながら読むことが多いです。可能であれば2回は読みたいところです。詩というものには単純に惹かれます。小・中学生の頃はまだ書物に気づいていません。図鑑は良く見ていたかもしれません。ローラースケートの友達の家でアラレちゃんの7巻を読んでからずっと鳥山明の漫画を読んできました。高校生になると椎名誠を読んでいましたが、他にはロードス島戦記とツルモク独身寮、ビーパルという雑誌です。大学では詩を中心に色々読むようになります。文学の授業では「石川啄木の家と女」についてレポートを提出しました。当時ワーズワースの冒険という番組があって、この影響でワーズワースを読みます。中原中也、高橋新吉、室生犀星、銀色夏生などです。ボードレール、萩原朔太郎を読んでいません。堕落論をちらっと読みました。あとよしもとばななのいくつか、遠藤周作のエッセイかなにか、多分星新一も読んだ気がするのと、筒井康隆の3部作を含めいくつか読みました(高校生の頃かな?)。洗ってない皿を勝ち割ってしまえ的な発想は高橋新吉の「皿」からです。ちなみに6月12日という曲は僕が藤沢市から群馬の実家までマウンテンバイク(ゲイリー・フィッシャー)で帰った日です。早朝4時に出発し午後1時半に着きました。バテて帰りは車で送ってもらいました。

群馬に帰ってからは江國香織をいくつか、ピーナッツブック9冊。谷川俊太郎。後はたそがれ清兵衛の映画から藤沢周平をいくつか、ブラームスの音符たち。主題と変奏。作曲家論集1。風の中のマリア。鬼平犯科帳(現在7巻まで)。ハリーポッター。今後読む予定の本としては茂木健一朗先生の「ペンチメント」、「赤毛のアン」それから「赤毛のアンで英語づけ」などのいくつかです。

ギターについて

ギターを始めるきっかけはブルーハーツです。ある日、音楽室に入ると友達がラジカセでリンダリンダを大音量で流していて、僕はそのまま急に近づいて行ってダビングしてもらったのを覚えています。家にはもともとモーリスのガットギターがありました。パパさんが買ったものでした。このギターを使って、曲に合わせてコードなどを覚えました。ナルシソイエペスの有名なのを練習したのもこの頃だと思います。僕の作品の中で聴こえるガットギターはこれです。高校生になるとバンド活動をするようになりますが、バドミントン部と生徒会を掛け持ちしていたためほぼすき間を見ての遊びでした。しかし、生徒会の活動ぶって楽器を運んでいるところをバド部のコーチに見つかってしまい、一時期険悪なムードとなりました。この頃、車じゃないと運べないような友達の巨大なアンプを家の2階の廊下に置き、友達のエレキギターとマルチエフェクターを使って「青空」のギターソロなどをCDをかけながら大音量で練習したりしました。ガットギターではさらにwhite wind from Mr.Martinとvoiceless screamingをカヴァーしました。

大学では、リバーシブルなバンドというのを想像し、あえて室内楽のコンサートも行っているというオーケストラのサークルへ入団。しかしチャイコフスキー以外は何も聴かず、おいちゃん(パパさんの弟)からモーリスのフルアコ(Gibson ES-175D風、ほぼ同じモデルをポールギルバートが雑誌の中で紹介していた)を借りて曲作りを始めます。やがてレスポールを購入します。友達の影響で良く練習したバンドスコアと言えばエクストリームです。弾けなかったものは当然弾けませんでしたがけっこう影響は受けた気がします。ブーゲンビリアとして行ったライブは4回。原宿ロサンゼルス2回、クラブチッタ川崎、渋谷24。ロック研究会の関連で西荻窪にあるライブハウスにてGipsy kingsのinspirationを披露したことがありましたが、今思うと無茶でした。その日は他にsmoke on the waterをベースで参加しました。ギターはその後、町田の楽器店でショートスケールのリッケンバッカーを購入(街の灯のギターソロ)。さらに獣医学部の知人からovationのcelebrityというエレアコを1万円で譲っていただきます。作品の中ではボディをはじいてもいます。町田駅の通路ではトミテツと呼んだ友人と手のひらサイズのアンプを鳴らして奥田民生などを歌ったことも何度かありました。大和駅でも行いましたがすぐに補導されました。

群馬に帰ってからは主にガットギターにのめり込みます。マヌエルバルエコを聴きながら、譜面をタブ譜化し、モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲をほぼかなり自分なりに弾きこなします。その後アグアドのロンドにのめり込み、音符が波打つあたりまで練習しました。ちなみに「恋のロンド」というタイトルはテレビドラマ「輪舞曲」から。その頃まで書き記していた手帳はその後、「ステレオ鳴らない」と記して以後何も記さなくなりました。このステレオはSONY のLIBERTYといういわゆるコンポで、数年後にアンプ内部のLSIを交換して復活します。ガットギターはというと掃除機をぶつけてネックがボッキリ折れてしまいました。

今あるギターはレスポールとチェットアトキンス(後期型)です。最近は凄まじいエレキギターでベートーベンを弾くyoutubeを見て無窮動と呼ばれる教則本を始めたところでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

レゴブロックについて

子供の頃からレゴブロックで遊んできました。小学校2年生ぐらいからはローラースケートを始めたので、ほぼ並行して、特に家に帰ってからはひたすらレゴブロックでした。あまりにもレゴブロックばかりやっているので一度両親に隠されたりしたこともありましたが、なんとか探し出してまで遊んでいました。例えばヘリコプターになるレゴブロックの部品をそのまま組み立ててヘリコプターを作るのではなく、バラバラな状態のいろいろな形の限られた部品を使って何が出来るか分からない想像したものを組み立てていくことは、なんか今考えてもとても得体の知れない何かがあったんじゃないかと思います。ローラースケートもレゴブロックも中学生になる頃にはやらなくなりました。要するに周りの子達はお勉強モードになるわけですが、僕はそこから、中学2年生ぐらいからギターを始めます。